アイスとかき氷、夏の思い出

夏が好きです。自宅に冷房のない生活が長いため、人より暑さに強い自覚はあるものの、人並みに「あちー」とは言うのですが、その「あちー」と言える時期がやはり一番好き。日焼けはしたくないので日焼け止めなどの対策は講じるけど、カンカンに照っている太陽の下を歩くのも好きだし、外から帰ってきた時に食べるキンキンに冷えたアイスも大好き。夏に食べるアイスやかき氷に関係する思い出も多いです。

 

幼稚園の頃、海の近くにある市営プールに親が時々連れて行ってくれて、活発な子どもではなかったせいか泳いでいた記憶はイマイチないのだけど、プールから上がった時に食べた「たまごアイス」が楽しみでした。その形状から「おっぱいアイス」と呼ばれることもありますよね。食べ終わりに差し掛かるとゴムが中身を押し出して、爆発しそうになるため、少し食べにくいんですよね。でろーんと中身が垂れて、チロチロと自分の手を舐めた記憶もあります。今は改良されたのでそこまで気になりませんが、当時はゴムの味がしましたね。それも含めて嫌いじゃなかったなと思います。

 

小学校に上がると、海の近くに図書館が出来たので、2週間のレンタル期間を終える度に行っては本をまた借りるというのが習慣になりました。決まって母親と行くのですが、その帰りに駄菓子屋に寄って買うメイト―のオレンジシャーベットが好きでした。今では考えられないほど控えめな性格だったため自分からねだることはなかったのですが、母親が買うと嬉しかったのを覚えています。人工的な「オレンジ味」なのだけど、開けてすぐに掬える柔らかさや、舌にのせると滑らかに溶ける感覚は今でも大好き。懐かしい味、と呼べるものは沢山あるけれど、これも確かに私の懐かしい味リストから外せない一品です。

 

小学校4年生の時に、大好きだった祖父が亡くなりました。同居こそしていなかったものの、家が近くだったので頻繁に遊びに行っていたし、おじいちゃん子だったので当時の喪失感は言葉にならないものがありました。その時、一番心残りだったのは「喫茶店に行くか?」という誘いを断ってしまったこと。祖父はかき氷が好きで、私のことを近くの喫茶店に連れて行ってはかき氷をご馳走してくれました。思えば、自分がかき氷を食べたいというカワイイ欲望に孫を使っていたのかもしれないけれど、二人でかき氷をつついたあの時間は幸せ以外なんでもなかったです。二人のオーダーはいつも決まって「宇治金時」。大きく盛られた氷をいかに崩さずに食べるか四苦八苦する私に、スプーンを使って氷をならしながら食べると崩れないよとコツを教えてくれました。

 

しかし、4年生になり祖父と二人でお出かけをすることに少しだけ照れくささを感じ始めていた私は「喫茶店に行くか?」といういつもの祖父の誘いを「えー、いいよー」と断ってしまいました。それが最期の誘いになるとも知らず。

 

祖父の記憶も月日と共にかき氷のようにホロホロと崩れて、今ではどれが確かなものか分からない部分も多くなっていますが、毎夏当時のことを思い出しながら一度は宇治金時を食べるのがここ何年も恒例行事になっています。ほろ苦い抹茶と甘いあんこ。今年はいつ食べようかな。お店は特に決めていません。そこに宇治金時さえあれば、それだけでいつでもあの日々に還れる気がするのです。

アニメ「少年ハリウッドについて」②

 

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前回に引き続き、自分なりに「少年ハリウッド」について思うことを書きました。

・アイドルの実存は本質に先立つ

少年ハリウッドの名物と言われているのが「自己紹介」です。メンバー5人それぞれ自己紹介のフレーズがあります。第1話で「少年ハリウッド」の名前を継承し、アイドル活動をすることになったメンバーに最初に与えられたミッションは、下記の「自己紹介」でした。

風見颯(カケル)
「君の宇宙は、僕の宇宙。僕の宇宙は、君の宇宙。つまり僕は君に夢中!夢をカケルよ、風見颯。高校二年生の十七歳です!」

甘木生馬(マッキー)
座右の銘は、仏恥義理魂。ハンパなことは嫌いです。マッキーこと、甘木生馬、十八歳。夜露死苦。」

佐伯希星 (キラ)
「少し前まで、星の国にいたんだよ。このキラキラが見えますか?君の希望の星になりたい、佐伯希星、最年少、中学三年生の十四歳です!」

富井大樹 (トミー)
「世界一のラッキーボーイ。君の運気上昇担当になりたい、富井大樹十五歳、高校一年生です。お守りにしてね!」

舞山春 (シュン)
「笑顔でキュン!怒りんぼにシュン。この八重歯にかけて、君の最後の彼氏になることを誓います。十五歳の高校一年生、シュンシュンこと、舞山春です!」


そう。ご覧の通り、とっても照れくさいんですよ、これが。

自己紹介とは、自分は何者であるかを簡潔に他人に伝えることです。しかし、それは偽りない自分というよりもむしろ「他者にどう認識されたいか」を伝える行為でしょう。そして彼らは自分で考えたわけでもなく、渡された紙に書いてある自己紹介文という名の台詞を言わなくてはならなかった。元子役のキラはソツなくこなしますが、アイドルよりもシンガーソングライターを志望しているシュンはメンバーの中でも特に苦労します。

シュンの恥ずかしそうな自己紹介を見たシャチョウは「恥ずかしいことを恥ずかしそうにやることが、どれほどまでに恥ずかしいか。なりきること、やりきること、それを大切にしなければアイドルは只の恥さらしになる。」とバッサリ言い放ちます。

何度か言及してきましたが、ハリウッド東京にはシャチョウがいます。シャチョウの命令は絶対、それがハリウッド東京の約束。生活感がなく、常に謎に包まれた存在。チョビ髭だし、年齢不詳だし、かなり胡散臭いです。少ハリのメンバーはシャチョウについて詮索することは禁止されています。何を隠そう彼は初代少年ハリウッドのメンバーなのですが、当時のことは小説「少年ハリウッド完全版」にて詳しく描かれています。また、タイトルの「HOLLY STAGE FOR 49」の49は彼の年齢ですね。シャチョウ(=初代少年ハリウッドのメンバー・ゴッド)はこの物語のもう一人の主人公だと思います。

彼のアイドルに対する想いの強さは尋常ではありません。このまま少ハリと心中する気なのだろうなと思わせる、覚悟と信念を感じます。そして少ハリには、シャチョウのアイドル哲学がギッシリと詰まっているのです。ひいては人生哲学にまで及んできます。

自己紹介ひとつ取っても大きな意味があります。本質は追いついていなくとも、その言葉は行動を引っ張る力があります。嘘も重ねれば誠になると言ったら表現は悪いですが、近からずも遠からずでしょう。先を行く自分に、それを追いかける自分。それを繰り返して、彼らは「アイドル」になっていくのです。

アイドルとは、常に恥ずかしさと紙一重の存在なのかもしれません。一見ふざけたような格好で歌って踊る。それをやりきって輝くのが正真正銘のアイドル。このマインドはメンバーにもしっかり浸透していったようで、1期の最終話でマッキーがかつてのヤンキー仲間に「マジなんだな、お前」と言われ「マジじゃなきゃ、アイドルなんてふざけたことやってられねーよ」と言い切る台詞は清々しく気持ちが良いです。

名物なので自己紹介はしばしば披露されますが、最終回のそれは本当に感動的です。最終回の26話は1話丸ごとクリスマスライブのステージが放送されたのですが、最初に苦労していたシュン以上に、簡単にやってのけたキラの自己紹介に目頭が熱くなりました。それまで「このキラキラが見えますか?」という時に毎回ついていたキラキラとしたエフェクトが、最終回はなくなったのです。それは私たちが観客として目の前の彼らを見ていることを完璧に表現していました。まさにライブ!実録・少年ハリウッド!あれ以上の最終回は、私はないと思ってます。言い切るよ!

・神と生贄の間で揺れるアイドルとは

少年ハリウッドのメンバーは皆、5人それぞれ悩みや葛藤を重ねて成長していきますが、中でもカケルはの心模様は複雑で、揺れ動く繊細な気持ちは初々しいポエム形式で綴られ、物語に瑞々しさを与えてくれます。

カケルは元々控えめな性格で、スカウトされて部活の延長線のような感覚でアイドルになり、少しずつ楽しさを見出しますが、二期に入りグループの人気が出始めてもどうして自分がアイドルとして声援を受けるのかピンとこない日々が続きます。そんな時に、それまでマッキーがセンターだった体制をシャチョウが変えようといいます。そしてネタバレとはいえ差し支えないと思うので書くと、カケルがセンターに選ばれるのです。

これはカケルの自意識の変化において重要な意味を持つエピソードでしたが、そこで周りが思う自分と自分の思う自分の違いに思い悩むカケルに語られるシャチョウの話を抜粋します。

アイドルってね、あるものもないものも全てを求められてしまう存在なんですよ。(中略) 求められて求められて、求められる存在なんです。そのすべてに応えられる方法はただ一つ、全部を出すことです。

神様ってね、自分からなるものじゃなくてならされるものだと私は思うんです。(中略) 生贄もすすんでなるものじゃなくてならされるものですね。アイドルはね、追いかける側の時と場合によって神にだって生贄にだってなってしまうんです。


この「神と生贄」論はまっさらな心を持ったカケル君に対しても、もう少しわかりやすい言い方をしてあげれば良かったんじゃないかと思いましたが、この後カケル君はメンバーが腕を繋げて作ったハードルをジャンプして越えながら「そうか僕たちは自分の命に人生を捧げて生きているんだ」というアンサーを導き出してストンと着地しているのでヨシとしました。

シャチョウが初代少年ハリウッドに在籍していた時のニックネームは「ゴッド」でした。少年ハリウッドに舞い降りた神。それは彼が望んだ肩書ではなかったのだと思います。彼もまた、ならされた神だったのでしょう。そして彼はおそらく自身を、憧れ続けたアイドルという神的存在(概念)に捧げる生贄だとも思っているのかなと感じました。

よくアイドルは「神聖な存在」とされ、熱烈なファンのことは「信者」ともいい、所縁のある地は「聖地」されます。それはネタ的に使われる言葉でもありますが、そこまで言わしめるアイドルとは一体どういう存在なのかということに真面目に向き合い、少ハリの世界で、言葉で説明したのだと思います。(余談ですが、聖地であるハリウッド東京で立てこもり事件をメンバーが起こした時、停電した劇場でペンライトを灯してアカペラで歌うシーンは、教会で蝋燭を灯して歌う聖歌隊のようでした。)

・「永遠」にアイドルでいる矛盾と可能性

15年前に解散した初代少年ハリウッドは、新生少年ハリウッドに様々な影響を与えます。解散し、それぞれの道を歩んだ彼らは、アイドルに終わりがあることを明言し、アイドルの永遠性に矛盾を突きつける存在です。初代の熱烈なファンでもあるトミーの中で初代が成し得なった「永遠にアイドルでいる」ことを実現させる夢と現実の衝突が引き起こす葛藤がいかほどかと想像するだけで胸が張り裂けそうになります。

新生少ハリにも「延命」という言葉が使われています。それは必ず訪れる終わりが内包された言葉です。ともすれば、夢も希望のない言葉になってしまいそうな危うい表現の中で、永遠という言葉が持つ無限の可能性がせめぎ合い、眩いばかりの光を放っているのです。初代少年ハリウッドの歌「永遠never ever」の歌詞に「限りない夢抱け 限りある時が味方さ」とあります。有限だからこそ尊い存在なんですね、アイドルって。

少年ハリウッドは、どこまでも正直で嘘のない正真正銘のアイドルアニメだと思います。実際、三次元のアイドルを応援した経験がある身としては、握手会や入待ち出待ち、センター入替えなどのリアルな問題に肉薄する度、身につまされました。一体どこまで正直なんだと。(原宿の違法アイドルグッズやジャ○ーズ御用達の黒マスク、ファンのツイッターなど小ネタも満載)

それと同時に、少年たちの青春ドラマでした。楽屋で繰り広げられるやりとりは時にトンチンカンに見えますが、ふと琴線に触れる言葉が弾け、波紋のように広がって、伏線の回収というテクニックめいたものよりも、ひらめきのようなときめきのような淡い感情にそっとタッチするのです。それが計算しつくされた方法論の上だとは分かっていても、私にはとても心地良いものだったのです。

あと、単純にかわいいんですよね。応援したくなる、愛すべき子たちばかりです。

そしてラストまで嘘をつかないことが夢を壊すことではないと見事に提示し、テレビの前という名の観客席で彼らを見守るファン(視聴者)の中で確かに彼らのキラキラとした姿は、本当の意味で「永遠」になったと思うのです。

長くなりましたが、これを読んでくださった方でまだ少年ハリウッドを観ていない方、少しでも興味を持った方は是非見てみてください。お粗末な感想文が、そんなきっかけになったら嬉しいです。

・ ・ ・

アニメ放送終了後、小説でストーリーが継続することや、FC発足(ええ、即入会しました)関連イベントなど動きがある少年ハリウッド。私のように拗らせたオタク向けに、彼らが時空の狭間で確かに存在するアイドルなんだよ証明し続ける方々のサービス精神に大いに乗っかり続ける所存です。

 

‐公式サイト StarChild:少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 50-

 

 

小説 少年ハリウッド 完全版 (小学館文庫)

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アニメ「少年ハリウッド」について①― ハロー君たちが「存在」している世界

アイドルはいつまでアイドルでいられるのでしょうか。10代のキラキラした輝きはあまりにも刹那的に過ぎていきますし、20代にもなれば次から次へと下の世代に新しいアイドルが生まれていきます。将来に不安を感じて安定した就職という選択を取る者もいると思いますし、いつの間にか世間から忘れ去られていく者もいるでしょう。日々愛され、見放され、消費され、評価される存在。厳しいレッスンの日々、普通に恋をすることもままならない、いろいろな犠牲を払いながら、それでも黄色い声援を浴びてステージに立つアイドル。小さなきっかけから集められた5人の少年たちがアイドルとして成長していく姿に真摯に向き合ったアニメ、それが「少年ハリウッド」です。

 一期が2014年の4月から7月にかけて放送され、間をあけて今年の4月をもって二期が放送終了しました。これがとても素晴らしかった。しかし、私は一期を二話ぐらい見て毎週録画のセットを解除してしまいました。放棄してしまったんです。その時の自分の判断がどれほど間違っていたか、今は反省するばかりです。ただ実際に観る人を選ぶ作品だと思います。二期から改めて視聴し、すっかり惚れ込んでしまった「少年ハリウッド」について、あらすじから簡単に説明し、私なりに感じ、解釈したことを何回かに分けて書いていきたいと思います。

物語の舞台は原宿。そこにある「ハリウッド東京」という劇場で、ひょんなきっかけから集められた甘木生馬(愛称マッキー:初回放送時18歳)、風見(通称カケル:同17歳)、富井大樹(愛称トミー:同15歳)、舞山春(愛称シュン:同15歳)、佐伯希星(愛称キラ:同14歳)の5人が「少年ハリウッド」という15年前に一世風靡したアイドルグループの名前を引き継ぎ、活動をスタートさせるところから始まります。メンバーの背景は、ごく普通の高校生だったり、高校を中退した元ヤンだったり、かつての有名子役だったりと境遇はバラバラ。これは、そんな彼らがオーナーであるシャチョウのムチャぶりとも言える絶対的な命令に従い、マネージャー勅使河原に指導されながら切磋琢磨し、アイドルとしての役割を「課せられ」、進むべき未来を「選択」し、「自意識」を萌芽させていく物語なのだと思います。

まずアイドルをテーマにしたアニメで頭に浮かぶのは「うたの☆プリンスさまっ♪」のような作品でした。こういった作品に出てくるキャラクターは、例え芸能界デビューしていなくても、最初からキラキラとしたイケメンでアイドルのようないでたちです。

一方、少年ハリウッドのキャラクターデザインですが、リアルな顔立ちでかなり濃いです。見慣れた今では可愛くカッコ良く見えますが、パッと見はどこか古臭く野暮ったい印象を受けました。今はそんなことないんですよ。初見の話です。

 

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▲なんとなくダサい(好き)

 いなたい彼らがジャージを着て、レッスンをする日常が淡々と描かれるので、何も知らない私は「これは一体だれをターゲットに作っているのだ?」と疑問に思ったのです。愚問でした。視聴者に媚びない、挑戦的な姿勢こそが「少ハリ」の魅力の一つなのです。

例えば、第5話では彼らがそれまで稽古をしてきた舞台「エアボーイズ」を公演するのですが、OPとEDを除けば1話丸ごと舞台の内容、いわゆる劇中劇です。それも不器用な役者が揃った演劇特有のすこし居心地の悪い空気感ごと再現されています。突然、芝居のテンションが上がるシュンの様子も「いるなぁ、こういう役者」と思いました。それでいながら、脚本の随所にこれまでのストーリーとの関連性を持たせる構成も見事でした。

特にドキッとしたのは、マッキーの台詞が飛んでしまうシーン。ハッと次の台詞が出てこなくなった彼が固まり、舞台が静止してしまうのですが、その間がとても長いんです。ここで固唾を飲んで見守る観客や焦るマネージャーの姿を映す手段も方法としてはあったのでしょう。しかし、視聴者も舞台を観ている劇中の観客と同じ緊張感を味わう羽目になります。こうしたスタンスは最終話のクリスマスイヴのライブまで徹底されます。黒柳監督はキャラクターの内なる感情を何かに置き換えて描いたりせずにありのままを映すことを「作り手の解釈の拒絶」*1と述べています。

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この手法をとったエピソードの中でも秀でているのは第10話の「ときめきミュージックルーム」回でしょうか。これも丸々1話「ときめきミュージックルーム」という音楽番組です。イメージは、ミュージックフェアに近いです。司会者が冒頭で挨拶をし、ミス・モノクローム*2や、高杉ちえり*3などの歌手が曲をフルで披露。肝心の少ハリが全くでないシーンも長く、ひな壇で大人しく座っていたり、ぎこちないトークをしたりします。少ハリの出番が終わっても、楽屋で談笑するシーンなどはありません。演歌歌手の柿田川大介や初代少年ハリウッドで現在ソロ歌手として成功している大咲香の出番が続く徹底ぶり。最後まで本当にやりきったなと脱帽しました。ダンスの動きもカメラワークも非常に凝っていて、実在する音楽番組を見ているよう。いや、確かに実在しているんですよね。少年ハリウッドは「存在」している。

「存在」するアイドルのように彼らを扱う姿勢には、原作者である橋口いくよ氏のメディアでの発言を中心に、作品を取り巻く全ての方から強いこだわりを感じます。キャストの皆さんも、演じているのではなく彼らの「友人」や「親しい関係」と呼ばれ、自称しています。

また、彼らが生きている世界の描写がとても丁寧であることも、彼らの「存在」の輪郭をより濃くしています。道路の側溝に溜まる桜の花びら、コップに注がれるオレンジジュース、レッスン帰りに揺れる電車から見える景色、自動車の窓を打つ雨粒、そして原宿という街の風景…彼らが息づく世界を丁寧に描くことで、より一層彼らの存在を感じ、私はアイドルアニメを見ている視聴者から「少年ハリウッドを応援する一人のファン」へと自分の感覚が変化していくのを実感しました。

そういった積み重ねがあるからこそ、単に挑戦的で作り手の冒険心を感じるエピソードである以上に「少ハリ、音楽番組に初出演できて良かったね!」と彼らのファンという立場で喜ばしく感じる、感慨深さが生まれた回だったと思います。

ただ、この斜め上をいく手法がクセになるかどうか?というところで好き嫌いが分かれてくるかもしれません。リアリティを追求すると必然的に泥臭くなっていきますからね。人はアイドルとして生まれるのではなく、アイドルになっていくものであり、これはそのプロセスを描いているからです。ちなみに、この作品は原宿という場所が舞台となっている時点で、ジャニーズへのオマージュは明白です。これは二期以降ますます深化していくのですが、次回以降ゆっくりまた語りたいと思います。

 

 

ハロー世界

ハロー世界

 

 

*1:Blu-ray3巻封入の冊子にて

*2:声優の堀江由衣がキャラクター原案を手掛け、自身が声優を務めるオリジナルキャラクター。スタチャ、そしてカケルの妹役をほっちゃんが出演しているなどの繋がりで出演。

*3:橋口いくよ氏による小説「原宿ガール」に登場するアイドルグループ原宿ガールのメンバー。

楳図かずお先生のハイタッチ会に行ってきました。

まことちゃん・劇場用アニメーション(Blu-ray)

まことちゃん・劇場用アニメーション(Blu-ray)

私が大変尊敬している楳図かずお先生のハイタッチ会に行って参りました。と言いましても、先月のことなので時差がかなりありますが、とても楽しいイベントだったので記憶に留めておくためにも書こうと思います。

当日は、共通の趣味を持つ稀有な友人と行きました。梅雨明け間近の炎天下の中で「先生、夏バテしてないかな。大丈夫かなぁ」「もう78歳でしょ?ダンスとかしてるみたいだけど、さすがに弱ってないかな」と高齢アイドルの体調を気遣う私たち。一時期は頻繁にライブも行われていましたが、私はイベントさえも初参加です。ドキドキ。場所は渋谷のタワレコ1階のイベントスペースでした。簡易なステージの前に立って待つ私の心を、鳴り響く「ビチグソロック」と「サンバ・デ・まことちゃん」が解きほぐします。

そして時間になり、紹介とともに小走りで現れる楳図先生。掴みの挨拶は「グワシ!!」―私はしくじりました、関節が思い通りに動きません。私の攣りそうな小指をよそ目に、周りの手練れの楳図ファンと思しき方々のスムーズなグワシはさすがでした。そして「グワシ!!まことちゃん」を歌い始める先生。軽快なダンス、赤白ボーダーのトップスから除くお腹のチラリズム。ノリノリで手拍子をする私たちオーディエンス。オッケー!レッツダーンス!先生、ダンスお上手ですね。先生、お若いですね。先生、1番だけじゃないんですか。先生、ほんの少しだけ手拍子も疲れてきました・・・先生、息切れしないんですか!?

フルで一曲披露した直後に、間髪入れずにトークショーに突入したにもかかわらず、全く息切れしない先生に驚愕せざるを得ませんでした。始まる前に「夏バテしてないかな」等という心配をしておきながら、手拍子だけで掌が痺れている自身を呪いました。

冒頭でも述べた通り、今回のイベントは「まことちゃん 劇場用アニメーション」のBlu-ray発売記念だったので、最初はそのお話でした。トークショーでは、大阪万博後の70年代前半、日本がまだまだ未来を信じて右肩上がりだった頃に「漂流教室」のような暗い話を描いていたのでいつも僕はズレているんですと笑いつつ、それが結果的に未来を予言するような内容になっていたことや、その後に少しずつ日本がおかしくなり始めていた頃に「まことちゃん」を発表されたこと語りつつ、色々楽しく脱線してました。「まことちゃん」については、Blu-ray特典の小冊子に詳細なインタビューがあります。興味深い部分を抜粋しますね。

怒りや悲しみ、恐れといった感情とは違って「笑い」というのは知的で、文化的なものだと考えています。だからこそ「笑い」を生み出すのはむずかしいんですが『まことちゃん』の世界に入ってきてくれれば、必ず「笑い」を提供できるという自信があるんです。それはなぜかというと、「お話」にこだわってきたから。(中略)しっかりした「お話」があって初めて、時代の移り変わりやメディアの変化に耐えられるキャラの強さが得られるんです。

私は「まことちゃん」の面白さは、その強烈なキャラクターにあると思ってました。しかし、確かにストーリーが弱いとキャラクターも生かされない。時代が移り変わっても『幼児の生態』はそう変わることはありません。その観察に力を入れて『幼稚園児の日常』を舞台にお話を広げたからこそ「まことちゃん」の面白さは今でも通じるんですね。

さて、話は今秋公開の映画「マザー」に移りました。撮影については「本当に大変だったぁ〜!」と大変な労苦があったご様子。主演の片岡愛之助さんが某ドラマの影響もあり、キャスティングの時点では予想もしなかったほどクランクイン時には超売れっ子になっていたため、撮影はわずか2週間で行われたとのことです。他でも昨年「11月13日に高尾・楳図邸でクランクインし、千葉・松戸、静岡・御殿場、沼津をへて、11月下旬にクランクアップ」と書かれてましたものね。御年78歳とは思えない殺人的スケジュールです。愛之助め!

楳図先生の原点に迫る物語を、自らメガホンを取って初監督。期待に胸が膨らみますね。妥協せずに、挑戦し続ける先生の生き様がカッコいいです。

最後はBlu-ray購入特典だった整理券を持っている人にハイタッチ。アイドルの握手会ばりにはがしがキツイと思いきや、一言お話ができるようで!自分の番が回ってくるまでドキドキだったのですが、いざ先生を前にすると言葉がうまく出てきませんでした。

『まずはハイタッチしましょう〜』
「はい!」
ハイタッチ、右手が噛みあわずに掠る。
『あ、上手く合わなかったのでもう一回やりますか』
優しさに心が震えます。
「ありがとうございます!」
その後、一言お話しできるようだったので
「ダ、ダンス素敵でした!」
人間、緊張すると直近の記憶から言葉を捻り出すようです。もっと言いたいことあったのに!
『ありがとうございます。ライブもやるんで、遊びに来てくださいね。」
その日、赤白ボーダーのTシャツを着ていたので
『あ、もしかしてそのシャツは』
「そ、そうなんです!先生にお会いできるので、意識してみました!」
『ありがとうございます』

常にニコニコと朗らかな笑みを浮かべる先生に「いつまでもお元気でいてください。映画楽しみにしています。」とありきたりな言葉に精一杯の思いを乗せる私でした。

サイン入りの色紙が当たる抽選会もあったのですが(なんと当たった人は名前をその場で書いて貰える上に一緒にチェキ撮影も!)私は当たりませんでした。しかし、5枚(だった気が)の色紙すべてに違うイラストが丁寧に描かれており、それを事前に拝むことが出来たので幸せでした。当たった方々おめでとうございます!そして大好きな楳図先生にお話しできた多幸感にフワフワと包まれつつ、まことちゃんのポスターを小脇に抱えて友人とタワレコを後にする私だったのでした。

‐おまけですが、楳図先生の有名な作品以外にもっと触れてみたいけど何から読んだらいいかなと思われている方は、昨年ビッグコミック創刊45周年を記念して発売した短編集がおススメです。価格もお手頃ですしね。短編十作品が収録されておりますが、どれも単なるホラー作品にとどまらない名作揃いです。人間の悲しい宿命や性が迫力のあるタッチで描かれており、へヴィな文芸小説を読んだような読後感がしばらく抜けないものばかりなので、ご興味のある方は是非。

‐ 映画「マザー」オフィシャルサイト
http://mother-movie.jp/ 

これが、新しい私との出会いというものか。

お久しぶりです。書くたびに言ってます。
私のブログの内容をご存知の方からすると驚愕かもしれないのですが、ここ2年半ほどジャニーズ方面にもハマっておりまして、処理能力の低い私の頭ではうまく分業できずに、こちらがなおざりになっていました。私がジャニーズですよ。というか、ジャニーズを舐めまくっておりました。散々舐め回した上に軽く甘噛みしてました。ここで自己紹介をするわけではありませんが、あんなにも鼻で笑っていた男性アイドルに自分もまんまとハマるとは思いませんでしたよ。ええ、ええ。人生どうなるか分かりませんね。故に「キック・アス2」でヒットガールが男性アイドル・グループ“ユニオンJ”のMVを見て体が熱くほてった場面は大変共感したものです。私もジャニーズに巡り合い、心の中に眠っていた少女・ミンディが目覚めたのだと・・・。

とまあそんな話はどうでも良いとして、春には職場も異動して海外営業部から今は某百貨店勤務となりました。あれほど嫌だ嫌だと思っていた販売業もやってみると奥深く、ストレスも多いですが、楽しいと思うことも同じだけ多いです。自分自身の底の浅さを感じます。店舗は接客も大事ですが、商品の在庫、配送業務や顧客情報の記録など、直接お客様と関わらない管理業務も多く、分かっていたようで何も分かっていなかったのだなと思い知らされています。

特に私が配属された店舗は、全国の中でも一番売上が大きいため、私を除く店員の方々は優秀でして、それらの管理業務は美しく理路整然としています。つまり、私はその整った環境の中で、優秀な方々の足を引っ張りつつ、ヨチヨチ歩きからスタートしたというわけです。パソコン業務はありません。ある程度得意としていたExcelパワポも当然使いません。5年間培ってきたスキルを生かすことよりも、ひたすらゼロベースから吸収することが求められる現場仕事でした。包装のスピード、接客時のトーク、そこから得られるデータの収集、毎日勉強することばかり。

大事なのは謙虚でいることと、ホウレンソウ。それだけです。大卒なので等級の関係上、立場は副店長ですが、一緒に働いている女の子二人は年下なのに高卒の大ベテラン。右も左も分からないことだらけの私をフォローしてくれます。さぞかし気を遣っていることでしょう。考えてみれば、女だらけの職場も初めてです。なかなかデリケートです。配属されて早くも丸4か月が過ぎようとしているので、私自身もアンビバレントな状態に慣れてきました。

というわけで、少しずつブログも書いていけたらなと思っています。

『ジャッジ・ドレッド3D』に膨らむ期待!

あまり話題になっていないような気がしたので、取り上げますよ!といっても実は話題だったらごめんね。『ジャッジ・ドレッド3D』が来月ついに公開です。先日twitterでダサいって書いちゃったんですけど、スマホでトレイラー観たときはよく分からなかったのね。先入観で判断しちゃったの。だから罪滅ぼしの意味も込めてます。

オリジナルの『ジャッジ・ドレッド』を十数年ぶりに一昨年のカナザワ映画祭の爆音上映で観たのですが、これはこれで非常に楽しめました。確かに頭空っぽにしなければ楽しめない浅い内容ではあるのですが、ジェットコースター的なドタバタとダサい近未来ワールド、そしてEDはチャゲアスASKA*1という三段オチ!(違)映画祭だという状況も相まって、爽快な気分になれました。もう半分ぐらい脳が麻痺してたと思うんだけど、その感じもまたいい。しかし家でまともに観るタイプの映画ではないのもまた確かです。

で、このリメイクなのですが、予告を観ると、随分スタロ・・・じゃなくてスタイリッシュに仕上がってます。La Roux『In For The Kill』が使用されている辺りもナイス。前はメットを被っても「ぽってり唇でバレバレだから!」現象が起きたスタローン*2と異なり、カール・アーバンは予告だけ観ると誰だか分からないところがいいと思います。元々シャープな顔立ちなので、期待値上がりますね。スタローンは退廃的な近未来世界が似合わない顔つきですからね。光線タイプの武器よりも、マシンガンを「うおー!」ダダダダダ!とぶちかましてる方が良いのです。

ロブ・シュナイダーが担当していたお笑いサイドキックも不在の様子。カッチョ良さを追求してるんですかね。まだまだ予告だけでは判断つかないですが、ロッテントマトでの評価もいい感じなので、私はすごく楽しみにしてます。というわけで『ジャッジ・ドレッド3D』2月16日公開ですので、心して待ちます。

*1:これはこれでいい曲なのだ。http://www.youtube.com/watch?v=ZAhoO-cP-uU

*2:よく似た事例に、ジョージ・クルーニー版のバットマンで「顎でバレバレだから!」現象があります

2013年、あえての紡木たく


あけましておめでとうございます。師走よろしく年末らしい投稿もできずにいましたが、年始は連休に恵まれてのんびりしておりました。今年はもうちっとブログもまめに書こうと思ってます。毎年言ってんじゃんっていま自分につっこみましたけど、毎年思ってんだよ。わりーか。ちきひょー。ばかやろぉー。

おっと言葉遣いが悪くなってしまいました。それというのも今日初めて紡木たく先生の『ホットロード』を読んだから、ヤンキーらしい言葉遣いをしたくてたまらないのかもしれません。ええ、2013年あえての『ホットロード』です。

私の母親は、厳格というよりは単に「お堅い」両親のもとに育ったため、NHKしか見させてもらえないような家庭環境でした。漫画もギリギリ泣きを入れて「りぼん」と「ちいさな恋のものがたり」だけは読ませて貰っていたそうです。その影響も(わずかに)あり、私も所謂なつかしの少女漫画といえば陸奥A子先生などのおとめちっく路線しかうちになく、故に昔のマーガレット系作品は読んでなかったんですよね。

紡木たくといえば気志團綾小路翔さんが愛してやまない作家さんで、以前インタビューで(確か数年前のH<エイチ>のコミック特集)熱く語られていたのを読んで以来、読みたいと思い続けていました。そこで三が日の20%オフにかこつけて、ブックオフで全4巻購入。

さて早速感想です。あらすじは割愛しますね。

まずはじめに読み手としての自分を説明すれば、私は心の奥底ではパンクな反逆精神を持ちながら、勉強もそこそこにちゃんとする、先生にも気に入っていただけるような真面目な学生でした。友達は少ないけれど、人には恵まれたので(人並みの黒歴史はあるけれど)幸いグレることのない人生でした。それでも度々「ふりょうになることのできない自分」にイライラすることもあったので、学生時代に『鈴木先生』を読んでいたらバイブルになっていたことでしょう。そして所謂不良は好きではありません。小六の時に(どういうわけか)私に告白してきた男の子が、その後、中学に入って学年一の問題児になってしまったこともトラウマでした。言わずもがな、お付き合いすることもなかったです。平成に流行った「ヤンキーもの」作品も、あまり好きではありませんでした。好きになる男の子も、暗い文化系タイプの子が多かったです。いずれも、ジメジメした片想いだけで終わりましたが。

話は長くなりましたが、基本的に母親の愛情深い家庭で育っているので、ベースからして主人公の和希とは全く異なりました。だから『ホットロード』も共感しながら読み進んだわけではありませんでした。和希が惹かれる「族」の春山も、最初はピンと来なかったです。しかし、愛情が希薄な環境で、居場所を見つけられずにいた彼らの目がいつも寂しそうで、とても綺麗なのです。そして彼らに降り注ぐ日差しは悲しいほどあたたかく、煌々と光るテイルランプはまばゆいのです。それらが彼らの「心ぞうが痛い春」をやさしく照らすのです。

散らばる和希の傷だらけのモノローグは、絵と共に感傷的にえぐってくるんですよ。彼女の幸せを祈らずにいられないんです。命を粗末に扱う危うさと、ぶっきらぼうな春山の優しさも次第に魅力的に見えてきます。彼を見る和希の切ない横顔、そして女の子目線な男の子《春山》のキラキラした表情。今にも消えてしまいそうな儚い存在の一瞬を、本当に見事に切り取ってるんです。和希と春山の純愛が主軸ですが、和希と母親の母娘愛も大きなテーマになっています。先程は愛情が希薄だと書きましたが、親は愛情を与えているつもりでも稚拙であるが故に自己満足の範囲を超えず、それがきちんと娘に伝わっていない問題があるのです。誰かを愛することは、その愛情が別の人間である相手にどう伝わるか考えることも必要だなと思いました。お母さん、ありがとう。

紡木たく先生の作品はたくさん読んだわけではありませんが、言葉と絵、そして余白さえも三位一体になり、こうもエモーショナルに訴えてくると思いませんでした。

途中何度かうるっとしますが(春山にはヒヤヒヤとさせられます)、最後はふつうに泣いてしまいました。涙脆いので、私が泣いたというだけではもはやなんの評価基準にもならないのですが・・・。主人公たちが精神的に成長し、ただ幸せにするのではなく待ち受けている社会の厳しさに立ち向かえるだけの強さを持たせて、締めくくるところがとても良かったです。

2013年あえての紡木たく、いかがでしょうか。