地球の前に浮かれた脳を冷ませよ

一昨日は養老猛司氏がテレビに出ていましたね。昆虫の話を楽しそうにしながら温暖化や環境問題について言及していたのですが、なんだかんだ私たち視聴者に刺激的なことをちょいちょい言ってくれるので彼のお話は聞きいってしまいます。

旧ブログ含め、複数回環境について書きましたが、何故か環境問題についてのニュースに触れる度に私は心が張り裂けそうな程に痛くなるんですよね。可笑しいんですけど…神経質な性格もあるんだろうけど、大学一年生の夏休みの間、夜中地球が破壊するような妄想が絶えず襲ってきて、まともに眠れた日は少ないくらいでした。知識が増えれば増えるほど、地球の痛みが自分の痛みのようで、苦しくて恥ずかしながら立派な不眠症になっていました。(今は全然大丈夫!!) こんな強迫観念の原因はさっぱり分からないけど、私はかなり早い段階で環境について考え始めていたと思います、多分・・・幼稚園生かな。

理由はシンプルなもんで。当時NHK教育で放送していたセサミストリ―トで、短いアニメを見たのがきっかけなんですね。その内容ってのは、歯ブラシをしてる少年が歯を磨きながら水を出しっぱなしにしていて、それと同時に魚がいる池の水がどんどん減ってくというもの。本当に単純明快なアニメで多分30秒もあったかな―って感じ。だけどそのインパクトが私にはすごく強くて、幼いながらに『水はお魚さん達と一緒使ってかなきゃいけない、大切に使わないといつか無くなっちゃうかもしれないんだ』と思った記憶があります。そのアニメを作った人は、まさか自分が一人の人間の思想の原点を創造したとは思ってもないんだろうけど(笑)

そして、小学校で本を読んで新聞を作るという、授業があったんですね。今から考えれば非常にクリエイティブ、且子どもの探求心を育てる内容の授業で、私が学校の初頭教育の可能性を今でも信じている理由の一つなんですけど。とにかくそれで、私は環境問題についての記事を、またしても『水が危ない』という感じの本でまとめた記憶があります。まぁ、正直曖昧な部分もあるけど、世界では水が枯渇している地域があるのを知ったり、味噌汁一杯を川に流したら、その川が元通りになるにはどれだけの水を要するかを知って衝撃を受けたことだけは鮮やかに覚えています。

それからしばらくして、省エネという言葉を知り、確か小学校5年生あたりで勝手に活動をスタ―トしました。名前は『エネ魂』(笑)一応、省エネ魂の略で教室の付けっぱなし電気を消したりする作業を地味〜にしていました。他にも、古紙を回収する段ボール箱を教室に設置して欲しかったけど、なんとなく言い出せなかったような気がする。中学でも密やかに続けていたエネ魂は最大時の人数でも三人だったかな・・・熱く燃えていた時は、教室の向かって左側にあるサブ黒板にデカデカとロゴを書き殴った赤面な思い出もあったり。でも、どちらかといえば自分でする地味な活動が好きでした。

小学校4年の時は世間体を気にして黙っていたけど、エコテロリストになることが夢でした。何も分かっちゃいなくせに、何を考えてたんだか知らんけど、恐らくいつまでたってもモタモタしてる危機感のない人間達にはテロで痛い目に遭って貰わなきゃ気付かない!! と思ったんでしょう。そう今は解釈してます(笑) でも、中学生でグリーンピースを知って『何かこいつらはダメだ!!違う!!』って思い、エコテロリストの夢は葬りました。間の小学校6年頃には郵便配達員になるという素朴でありながら堅実な職業に憧れたりもしたけど、未来予想図に「婚期を逃す」とか書いてて妙に現実的な子どもでしたね。

高校に入ってからは、環境への意識と好奇心は依然として強かったものの、同時に連日報道されるニュースに疑問を感じ始めていたと思います。新聞と睨めっこを始めたのもこの頃で(読み始めたのは中学生ですが)何でも疑ってかかった方が人生損しないな、って思想でした(笑) 私の思想と知的好奇心に最大の影響を与えたのは母親だと今でも確信していますが、物事に懐疑的になる部分も母親譲り。加えて知識欲の源流を辿れば母親を越えて祖父に行き着くんでしょう。あと新聞とかの切り貼り好きなとこも祖父譲り!! (笑)

…ちょっと私の、環境に対する関心の経緯を自分なりにまとめてみました。そんだけです。でも、私はメディアに絶望しながら、希望を見出してはいると思います。否定的に捉えがちなこの言葉ですが、ピュアな情報を届けようと必死な人がいることを忘れたくないって感じで。あ、環境とズレたかも。でも、密接なんですけどね。