行きつけ、の持つ響き

私には無いものがたくさんあります。他の人と同じように。でも、そんなに「あったらな―」と思うことはないです。物欲だけは立派にあるけど。つまり、手に入るけど、ないものっていう意味での「無いもの」ですね。それもお金で買えないもの。それで、最近つくづく「無いなぁ」と実感したのが「行きつけの店」ってやつ。で、ある意味これって凄く現代的なのかな、と思ったのです。

行きつけっていうのは、やっぱり店員さんに顔を覚えられていて、会話も気軽にかわせる、飲食店なら「禁煙席ですよね?」と言われ、居酒屋なら「親父、いつもの」と言う。どうにもこれが上手く作れない。繰り返し行く店といっても、料理をしない私はスーパーにも行かないので、服飾店かトイザらスや本屋さんくらいしか浮かばないけど、あまり顔を覚えられたいとも思わないし、出来れば服飾店の店員に「何かお探しですか?」とか「これが最近人気で…」とか声を掛けられずに静かに買い物をしたい。柳原可奈子のネタにもなっているくらいだから、あれは一般的にウザイってことで良いんですかね?

心理学用語でパーソナル・スペースというものがありますが、簡単に言えば「テリトリー」ですよね。コミュニケーションを取る際の相手との物理的な距離をどこまで縮めることが出来るか、というのは個人差がありますが、見知らぬ人にあたる店員を、自分のパーソナル・スペースにどこまで侵入させるか、というのが難しい気がします。物理的な距離だけでなく、心理的に入り込まれるのに抵抗感があるから何を買ってるか知られたくない、嗜好を知られたくない、みたいな感覚もある。

でも、店員さん次第という点はあります。押せ押せ、じゃなく、また行きたいと思わせる販売員の方もいますし、実際覚えてくれてたのが嬉しかったこともある。もしかしたら、どうせ覚えないくせに、売りたいがために近づいてくる店員がダメなのかもしれないです。単に近づいてこない、レジの店員に関しては行きつけもへったくれもないけど。

商店街がシャッター通りに代わって、大型百貨店があちこちに進出してからというもの、コミュニケーションは匿名の客と匿名の店員の関係になりましたよね。レジに立つパートには、浴びせられるクレーム、客が名前を聞く時は「教えろ、マネージャー呼んでくる」と押さえるときだけ。スーパーでは、八百屋で買い物をする時の「お客さん、今日はまけるよ」が無い。魚屋さんでの「今日はノドクロが安いよ」も無い。ちなみに家から一番近い百円均一の店員の「流れ作業」ぶりには驚く。品物をビニールに入れる係とレジを打つ係で、レジには常に二人並んでいるのだけど、サイボーグなんじゃないかってくらい動きが決まりきっていて、ちょっと不気味。ちなみに目を合わせてもらったことは一度もないです。私も合わせようとしていないのかもしれない。

私からすれば、「行きつけ」があるのがカッコ良いんですよね。うらやましいというか。でも、よく行く店も私の顔は覚えてくれないし、覚えていたとしてもそういう素振りは見せない。第一別店舗にすぐ移されがちなのか、店員の入れ替わりが激しい。難しいのかな。お互い様かもしれません。私が働いていた飲食店では、覚えなきゃいけないお客さん達がいましたけどね。喫茶店だったので「あの人は絶対アメリカンだから」とか「必ず氷水を大きなコップに入れてね」とか。大体そういうお客さんは週3回ほど来てましたけどね、頻度が高過ぎだった(笑)

ちなみに、私にはよく行く古書店があるのですが、店長のお爺さんがかなりお年を召しているせいかで、顔を覚えてくれません。多分、それは物忘れってやつで年齢的な問題だと思います。結構、悲しいです。どの棚に何があるかは、よく覚えてるんですけどね(笑) あと、最近バイト先に行く途中にある寂れた商店街の八百屋さんでいつも、ボサノヴァとかラテン系の音楽が流れているのが凄く気になります。店内でムード作りに、とかじゃなくてガンガン外に垂れ流しなの。向かいの99ショップに対抗しているのか分からないけど、ちょっと五月蠅いです(笑)近所の八百屋はいつもABBAとかZardとかガンガンに流れているし(こっちは十数年くらい前から)、八百屋さんの新たな形態なのでしょうかね。注目してます。

♪今聴いてる曲♪
Pale Young GentlemenSingle Days
結構良いと思うんだけど、マイナー過ぎます。みんなも良かったら聴いてちょ。