Hadouken!『Music for an Accelerated Culture』


発売から時間が経っているけど、Hadouken!のアルバムを購入しました。それほど期待してませんでしたが、今週はずっと聴きっぱなし。

依存性が高いとか、そういうありふれた形容はいくらでも出来るんだけど、このアルバムに私が惹かれる理由は彼らと私が同世代であって、彼らの歌そのものが、「」過ぎるほどに「」だってことにあるのかもしれない。彼らと生きる場所も環境も全く違うけれど、常に何かを持て余しているような感覚。かつてのパンクシーンのように、明確に反抗する相手も存在しない民主主義社会に生きている。(といってもHadouken!そのものはパンクとかロックの要素が強い)大人なんだか、子供なんだか線引きもあやふやで、単純にカテゴライズすれば「若者」であり、背伸びするわけもなく、ただただ「今」を謳歌して生きている。それはあてもなく浮遊するようでありながら、生命力の強さとか躍動をサウンドから確実に感じ取れるのが不思議だ。

こういうニュー・レイヴ的なバンドについて書いてあるブログなどで、なんだか「チープなサウンド」や「80sっぽい」とかいうコメントを見ることがあるけど、それはさっぱり的外れだとしか思えない。よく言われているようにHadouken!の場合はむしろ初期プロディジーに近い。一体彼らの何がチープで何が80sなのか。(そもそも若年ブロガーが真面目に80sの音楽を聴いているかすら怪しい)とりあえず、何でチープだと思われるかっていうのは、彼らがニンテンドーのゲームから音をサンプリングしてるってのが原因かもしれない。ゲームっぽい音は、確かにチープかリッチかって言ったら、チープな印象だし、それは生音とはかけ離れているからだと思う。でも、現実と虚構の境界線が薄れ始めているような2000年代を表すなら、こういう音がピッタリなので、意図的なもんなんだろう。なんにせよ、彼らが目指しているのはオリジナリティの獲得。こういう姿勢だけでも最近のバンドって頼もしいですよね?

踊ってても明けない朝はないし、いつまでもこうしていられる訳じゃない。無責任?でも未来は僕らに託されている。アイロニーに満ちた歌詞と、ひたすらにアッパーな曲の数々は、上目線で諭そうとする年寄りじみた曲よりも自分を客観的に見れるのかもしれない。と、そんなことが出来るほどカシコイ若者ばかりじゃないんだろうけど。

かといってこのアルバムが一言で素晴らしいと絶賛できるわけじゃないんだけど。多分、ある程度聴けばパッタリ聴かなくなると思う。Klaxonsの方が未知なるパワーを感じるし、まぁHadouken!は今だけ消費される存在になるかもしれない。ただ「消費するだけの価値は結構ある。

時代はハドーケン!がキャッチコピーなのかな。とりあえず、次世代というわけではないという点で正しいコピーだと思う。話ズレるけど、私はLate of the Pierの方が好きかな。

Music for an Accelerated Culture

Music for an Accelerated Culture