『ダークナイト』カタカナで書いてあると意外性があって得かもな。

ようやく落ち着いて感想を書ける。『ダークナイト』である。

バットマンの魅力は、誰もが言うように超能力もない生身の人間が戦っていることにあって、バットモービルだの武器や装備はあれどその下には生傷痛々しい体が隠されている。一度マスクから覗く食い縛った口元に魅せられてしまえば、もう一生ついて行くしかない。

今回彼の敵となるジョーカーは恐らく映画史上究極のアナーキストにしてカリスマ性のあるキャラクターだが、彼が『悪』だと断言できるかと問われれば、怪しいものだ。それより『悪』という言葉しかないのか、『醜悪』だの『凶悪』だの『悪』をベースに修飾しなくてはならないのがもどかしいぐらい、振り切れている。そしてヒーロー物の常である『善対悪』の構図すら軽く飛び越えてしまったことが、今作が単なるヒーロームーヴィの域を越えていると言われる原因かもしれない。だからといってバットマンが悪なのかという話ではなく、法治国家を前にしたとき彼の自警行為がどう判断されるかが問題となっているのだ。

顔の分からない怪しい男の自警行為を市民はどう思うか。そしてブルース自身も、バットマンの『正義』が悪を引き起こしているという自覚を持っており、その『正義』をバットマンに共感する新米検事のデントに託そうとする。それはブルースを悩ませ続けていたバットマンという仮面を脱ぎ去りたい願望だとも言える。これは『仮面』を巡る物語でもあるのだ。ブルースにはバットマンという仮面が、それを剥ぎ取ろうとするジョーカーも白塗りメイクで素顔を隠す(まぁ厳密に言えばノーメイクチックな場面もあるが)。そしてデントは『トゥー・フェイス』と言われた男だ。その限りなく薄いアンチノミーの境目を観客は天秤にかけられたようにグラつきながら見守る羽目になる。

ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーはバットマンの両親を殺した敵であった。その設定を大きく変え、今作でジョーカーはカオスを愛し、ゴッサム・シティを我が物にすべくバットマンを執拗に追い詰めていく。彼はもう一人の主人公だ。親を殺した仇として、バットマンがジョーカーを葬った『バットマン』(1989年)よりも、もう一人の自分としてジョーカーに打ち勝つ意味で彼を殺さないバットマンの強さを描いた『ダークナイト』を支持したいなぁ。どのキャラクターにも感情移入させる隙すら与えない、微塵のカタルシスさえ感じないこのエンターテイメント大作は、ヒーロー映画の未来と在りようを変えていくに違いない。

しかも、これだけ人間ドラマについて語っておきながら、アクションも安定したクォリティで、初披露したバットポッドのうねる轟音に飲み込まれそうなほど迫力がある。カーアクションも監督の余裕が見られる見事な出来で、申し分ない。冒頭での銀行強盗シーンで『プリズン・ブレイク』のマホーンのメガネをサッと取る時の本気ぶりが面白いし。(余談だが、ウィリアム・フィクナーファンの間では彼がリガーを演じるんじゃないかと言う憶測が飛び交っている!!) おまけにエディソン・チャンのチラ見えに笑った人は何人いるかな…。

言及は避けられないヒース・レジャーの狂気に満ちた演技はこちらが正気を失わぬよう必死になるほどだ。正直『ブロークバック・マウンテン』は中身のない薄っぺらなドラマで、彼の演技なしでは何の意味もなさない過大評価作品だ。同性愛をセンセーショナルだとか言ってるだけのリベラル気取りに受けるあんな映画でアカデミー賞を取るよりも、助演男優賞を『ダークナイト』でかっさらってくれ。アメコミ原作がアカデミーの主要な賞を獲れずにいた歴史を塗り替える価値のある作品だ。まぁただ分かりやすいからという理由でアカデミー賞なんてものをここで語ることが馬鹿馬鹿しいくらいなんだけど。

バットマンは全てを背負い、『ダークナイト』というヒーローを越える崇高な存在となっていく。その『正義』を観客が知っている限り、必ず戻ってくる。その時はまた安心してクリストファー・ノーラン監督に委ねたい。畏敬というよりは畏怖の念を抱いて、監督と役者たち、そして全てのスタッフに惜しみない拍手を送りたい。早くもうちょっと良い環境で2度目の観賞をシアターでしたい。だって普段は閑古鳥が鳴いている地元の映画館が半分から後ろがほぼ満席で、前列では終始イチャついているアベックがいたもんだから、たまったもんじゃねぇよ。