『落下の王国』

落下の王国』は良かった。ターセム・シン監督の長編作品としては2作目になる。ターセムといえば『ザ・セル』。シリアルキラーの深層心理のイメージを映像化するという何とも斬新かつ刺激的な作品だったのだけど、ダリっぽいな―と思ったところがガチでダリのパクリだということが後ほど発覚して拍子抜けしてしまったり、CMやMVなどの映像重視のショートフィルムが専門だったターセムのストーリーテラーとしての技量不足感が否めず、後味も淡白な映画だった記憶がある。それでも卓越したビジュアルセンスは圧倒されるものがあった。まぁ、ジェニロペは合ってなかったけど。

そんなわけで『ザ・セル』公開当初のターセムの注目度はハリウッドでも鰻上りだったにも関わらず、オファーを断り続けた結果『過去の人』のようになってしまったので、この4年の歳月をかけて映画化した『落下の王国』は公開が遅れただけでなく、プロモーションも何とも地味で上映館数も少なく、結果劇場もヒッソリとした寂しいものだった。みんなそんなに待てないんだろうか。

舞台は1910年代。映画のスタントマンをしている青年ロイは、下半身不随になる可能性がある大怪我を負って入院していた。女優であるガールフレンドを有名俳優に奪われ、失恋から自暴自棄になった挙句、ヤケくそに危ないスタントに挑戦して失敗したのである。鬱々とした毎日を過ごす彼は自殺を考え始めていた。そんな彼が同じく腕を骨折したアレクサンドリアという少女と病院で出会う。そして彼は歩けない自分の代わりに彼女を利用して自殺用のモルヒネを調剤室から調達させるために仲良くなろうと試みて、彼女にある壮大な叙事詩を聞かせることにしたのである。

アレクサンドリアの類稀なる想像力により物語は命を吹き込まれ、その叙事詩はロイも予想していなかった結末を迎えるのだった…

という具合だが、まずアレクサンドリアのイメージを映像化した物語の迫力がすごい。見事な色彩バランスと全体構図、そして1秒先すら想定出来ない奇想天外なシーンの連続にはただただ圧倒されるばかり。予測できないのは当たり前だ、何せロイの思いつきとアレクサンドリアの気まぐれで物語は進んでいくのだから。それでも混乱させない分かり易さはありがたい。

さらにこの映画ではCGを一切使っていないというのだから、ただただ驚かされるばかりである。タージマハールやプラハ城をはじめ、あらゆる世界遺産が登場するゴージャスさもすごいが、これらの歴史が産んだ芸術的建築物をただの背景に納めて生かすところに彼の凄さはあるんだと思った。つまり役者たちの存在感を封殺するどころか引き立てているということで、コスチュームデザインの石岡瑛子の面目躍如も無視できない。海を泳ぐゾウを下から撮影したシーンなんかは、本当に口をあんぐりして見てたかも。世界遺産での撮影許可を得たりするまでの気苦労も考えると泣けるね。

少女アレクサンドリアルーマニア人で英語がまだ堪能ではない。演じるカティンカちゃんも本当に英語が拙いようで、そんな彼女とロイのやりとりは噛み合わず、どこか滑稽さすら感じる。脚本ではなく、実際に噛みあわなってないのが伝わってきて、思わず笑ってしまうことくらい許される場面にも関わらず静まり返っていた観客席は、みなさん鈍感なのか、感性が死んでるのかどっちかなんだろう。カティンカちゃんは撮影時まだ5歳だったとかで、彼女の思いがけない発想が脚本まで変えてしまったこともあるらしい。例えば、ロイが自殺するために『モルフィン(MORPHINE)を持ってきて欲しい』と頼んだところ、『E』を『3』に見間違えたので、『3錠だけ取っておいて残りトイレに捨てちゃった』というシーンは、カティンカちゃんのリアル勘違いから発生したらしい。

言い方は悪いが、最初はブサイクな子どもだと思ってた。しかし眺めていると、歯が抜けたばかりのピュアな笑顔がかわいいブサかわ少女で、こんな最強の味方を手に入れた監督は幸運だろう。叙事詩のストーリー面における粗さ*1も、気にならないのは彼女のおかげだ。他のキャスティングもよくここまでこしらえたな、と思うほどで、ロイを演じたリー・ペイスもベッドの中では自暴自棄でやるせない顔をしているのに、叙事詩の中では密度の高いまつげが美しい黒山賊を魅力的に演じていた。叙事詩の登場人物たちは全てアレクサンドリアと現実世界で関係がある人物たちが演じており、結果一人二役のような面白さと、最後になって『この人がこの役だったのね』というサプライズも用意されているのが嬉しい。普段の様子と、叙事詩内での大仰な舞台的演技との比較もたのしい。

終盤、過剰なほどドラマチックな映像と音楽にどきどきするが、泣きじゃくる主人公に急に冷めたり。アレクサンドリアとロイの友情というか愛情に、奇妙なラブストーリーでも観たかのような気分になったことも事実。直接言葉にされずとも『生に絶望しない=生きてるだけでまるもうけ』の重要性は、頻繁にテレビから垂れ流される腐った文句よりよっぽど伝わってくるけど、ラストのカタルシスの物足りなさというか、渇望はまだ語り部として未熟な部分があるのか。私はビジュアルに固執するタイプなので精神的には満足だけど、ストーリーに重きを置いて観てしまうと、どうしても弱い。この監督はいつまで経ってもこうなんだろうという確信さえ抱かせる。

あらゆるシーンが観賞から2週間以上たっているにもかかわらず目に焼き付いており、映画というよりは芸術品として見るべきかもしれないけれど、ターセムは映像の名手として完全に他の追随を許さない領域に達したように思えた*2。機会があったらゼヒ。むしろデヴィット・フィンチャーとスパイク・リーの二大監督がサポートしている時点でそそられちゃう貴方は観るという選択肢以外ない。

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公式サイト【http://www.rakka-movie.com/

*1:そもそも歴史的に口伝で語り継がれてきたような叙事詩はオカシーとこだらけだし。

*2:と同時にある種の限界すら臭わせているのもイジワルに否定しない。