この涙に名前をつけるなら、それは悔しくも悔し涙なんだろう

日曜日、高校のときの先輩の勧誘で自己分析セミナーに出席した。そのセミナーってのは、就職活動を終えたばかりの学生が集まって開いているもので、全員が私より一学年上の人たちだった。受講する側は私と同じ3年の言うことになるんだろうか。本音を言えば、断る理由を真っ先に考えたのだけど、先輩の頼みということもあって面倒だけど出ることにした。誘った友達は、土壇場でキャンセル。結局わたし一人の出席になったけど、この後のことを考えれば一人だっただけマシだったかもしれない。

場所は公共施設の貸しルームのような場所で、新宿の近くだった。危うく遅刻しそうになったので走って入った。知らない場所に知らない学生ばかりで、おまけに底抜けに明るい歓迎ムード。それだけで目が泳いでたと思う。部屋は、小さな部屋に老人を押し込めて無農薬野菜を売ってる地元の業者と同じような雰囲気だった。私が座るように指示されたのは『3番』のテーブルで、女の人(A)と男の人(B)が座ってた。一応、作り笑顔は人並みに出来るので、多少は引きつってたかもしれないけど、にこやかに。Aが早速話しかけてきた。聞けばAは私よりも一学年上の、セミナー側の人で、明るい人だった。セミナー開いてるくらいだし、そりゃ人見知りなんてしないだろうけど。

私は、初対面の人でも(例え緊張してても、いや緊張していると余計に)饒舌で、なるべく相手に質問をされないようにテンポ良く色々と話す。これでも自分の心に踏み込まれないテクのつもり。彼女はもう私の脳が『苦手なタイプ』だと解析してるし。今度は隣の男の子Bと軽く自己紹介。どうやら私と同じ受講生らしく、のんびりしてて落ち着いているので、Aよりはずっと話しやすかった。余計な話をふってこないし。

そうこうしているうちにセミナースタート。リーダーのような男がマイクを持って熱心に話し始めた。ほとんど話は右から左へ流れていって、私は背中を伝った冷や汗に全神経を集中させてしまった。もっとも、話を聞かなくてもプロジェクターで今日することを写してくれているし。

とりあえず、グループワークということらしい。いつのまに3番テーブルには男がもう一人座っていた。仮にCとしておく。そういやこいつ、外でプレート案内板を持って突っ立ってた。こぼれんばかりの笑顔を見せてくるので、こっちは額から汗がこぼれそうだった。自分を漢字一文字で表すと『笑』らしい。いかにも…この納得は何故か私を同時にくたびれさせた。お互いに軽く自己紹介を済ませて、ワークスタート。

私の担当がA、B君の担当がCになった。真ん中に線の入った紙を渡された受講生は自分の人生を幼稚園の頃から今までを振り返り、印象に残った出来事を「点」としてに書き込んでいく。真ん中の線より上が『HAPPY度』、線より下が『UNHAPPY度』になり、その点を繋ぐと見事な人生折れ線グラフになるという仕組み。言葉で説明すると伝わりにくいかもしれないけれど、イメージで。

この作業の説明を受けた瞬間に胃がキュウッと言った気がする。とりあえず適当に書いていった。

幼稚園の頃は、体を崩しがちだったのでUNHAPPY。小学校低学年は楽しかったかもしれないけど、それからは緩やかな下降線を描き、高校三年でUNHAPPYは底辺になり、大学に入ってからは真ん中の線をぶち破りHAPPYに突入した。しかし先に点を書かなきゃならんのに、何故か先に線を引いてしまったので、グチャグチャになった。だから後から点(出来事)を書き込んでいったのだけど、書けない。かなり大雑把なイベントだけちょこちょこっと書き込んだ。当たり障り無く。私が完成だと思った折れ線グラフは、出来事も15個あるかどうかだった。私の人生は二週間の密度ってか。まぁ何故、出来事を書き込んでいく時にペンが止まるかという理由は明白だった。少なくとも私は必要以上に自分の感情を理解していた。

たった30分前に会ったばかりの人間の前で、自分の詳細な人生の出来事を教える義理なんて微塵も無い。

これに尽きる。だけど、書かなければ次の作業に進めない。これは判ってた。それに、隣に座っているAとの顔の距離はわずか30cmで、横から覗き込むようにして見つめてくる。その圧迫感は相当なものだった。まるでAが見つめる顔の右半分だけが、アイロンに当てられているように熱くなっていた。

『もっと書けないかな?』『気楽に考えて!』『何でも良いんだよ』
『う―ん高校のときは楽しくなかったのかな?でも、だから今のしゃもじさんがいるんだよね!』
『落ち着いて!』

何が落ち着けだ。お前がいるから落ち着けないんだ。鳥肌が立ちっぱなしだ。今の私を40分前に知ったお前が語るな。何が『ツラいことを乗り越えたから今のしゃもじさんがいるんだよ』だ。グラフに書き込んだことなんて『ツライこと』に加算されねえよ。お前に言える程度のことしか書いていないし、そんな慰めの言葉は一切求めてねえ。

書けない過去があるから、アンタが横で覗き込む度に脂汗が止まらないんだ。
書けない思いをしてきたからアンタの視線を感じる度に背中を蟲が這いずり回るんだ。

顔が真っ赤なのは分かってる。だからわざわざ指摘しなくて良い。アンタが『落ち着け』だの『大丈夫』だの、そんなことを言うもんだから他の輩がやってきたじゃないか。私の左横から見下ろして『どうしたの』と声をかけてくる。

クソ、なんてことないはずなのに…なのに両脇から他人の視線を感じるだけで激しく動揺して、手の震えが止まらない。頭が回らない。文字が書けない。誤字だらけだ、クソ。幼稚園児みたいな誤字を繰り返すもんだから、みんなが笑う。何度も消して、紙は薄汚れてきた。

意を決して言った。
『他の人が見てると圧迫感感じちゃって…』
我ながら上出来な愛想笑いを浮かべながら冗談交じりに吐き出せた。それなりにAも察してくれたようで、横に立っていた男はいなくなった。本当は泣きそうだった。でも、どうしてこんなに恐くなったのかは判らない。後ろから覗き込まれたり、横から見下ろされるのが苦手なのは、セミナーに限った話ではなくて、前からなのだけど。

結局、嘘も書き込んで「点」は20個近くになった。必死だった、書ける範囲のことしか書いてない。それなのに『う―ん、もっと無いかな?』だとさ。うるせえ。何でお前に見せなきゃなんないの?聞くな、見るな。お前カウンセラーの資格あるわけ?私はアンタの患者か?見んな見んな見んな。セラピスト気取りか。

そうこうしているうちにグラフの作業が終わり、今度は『理想の自分』『そうなるためには何が出来る』『そして今出来ることは?』この三つを書くことになった。さっきのグラフを参考にしながら、別の紙に色々と書き込んでいかなきゃならなかった。それなりのことを書いて、それなりに切り抜けることができたとは思ってる。向かいに座っているBやCとも議論をして、アドバイスを受け『理想の自分計画』を作り上げていった。

B君はさっきも書いたように、まだ良かった。きっと優しい子なんだと思う。そして私とはきっと相容れないこともハッキリ分かった。Cがまた凄い男で、ひたすら笑顔だった。それでも自分の意見を押し付けてくるAよりも話しやすく、私もCに対して色々意見を言った。セミナーの連中みんなに共通するのは、やたら熱くて、笑顔で、人を励ましていて、ポジティブで、最高にHAPPYになりたがっていることだった。わざわざ『最高にHAPPY』というサムイ言葉を使ったのも、これがこのセミナーのモットーだからだ。首の後ろがむず痒くなった。

最後は『理想の自分計画』を一人1分の持ち時間で発表をした。なんだかそれらしく、私らしい内容だった気がする。人前で話すのは緊張しない。どっかの誰かに横からじっと見つめられるよりもずっと楽だった。私の高校のときの先輩も私の発表を聞いていた。みんなから拍手を受けた。残念ながら、これっぽっちも良い気分にはなれず、一刻も早くこの新興宗教の教団から抜け出したい気持ちでいっぱいだった。

これで終わりだと一息ついたと思ったら、待ち受けていたのは同じテーブルのメンバーとの『お手紙交換』。これまた寒気がする企画を用意したもんだと思ったが、それらしく書いた…が、B君の名前は分かったのだが、AとCの名前が思い出せなった。3時間以上、一緒にいたのに、名前を覚えてなかった。自分でも引いた。消しゴムを落としたフリをして、なんとか二人の首から下がっているネームプレートを机の下からのぞくことが出来た。この時の私は、インポッシブルなミッションを成功させたぐらい、この日一番の達成感を全身に感じていた。

どうせメールしないのにアドレスを交換し、アンケートに答えた。そして教祖、じゃなくてリーダーの挨拶をもってセミナーはお開きになった。グダグダと雑談をしている人もたくさんいたが、私は話しかけてきた先輩に挨拶を済まし、どれだけその日のセミナーが役に立ったかをAとCと先輩に言った。アカデミー賞貰えるんじゃないかと本気で思うほど、爽やかな笑顔だったと思う。はやる気持ちに指先はかすかに震えていたけれど。

部屋を出てからも、一度も口を利いていない人たちまでもが私に挨拶をして大声で『頑張れ!応援してる!また何かあったらいつでも!』と口々に叫んでいた。何度もお辞儀を繰り返しながら、足早にその場を去った。

施設を出て、電車に乗った瞬間、全身の力が抜け落ちた。
どれだけ気を張っていたんだろう。涙が出そうになった。でも、電車だから泣けない。とりあえず音楽を聴いた。それでも気は紛れない。胸に水が溜まってるような苦しさがあった。電車の中で水死することなんてあるんだろうか。そんな馬鹿らしいことを考えたけど、気は紛れない。持っていた島崎藤村の『破戒』を読んだ。部落差別云々だけでなく文学的に好きなので読むのは三度目だが、市川崑が監督した映画を見てからはすっかり映画に無い場面でも丑松のイメージは市川雷蔵だ。テニスのシーンだったが、すぐに文字が涙で滲んで読めなくなった。イケメソ丑松の感情も入ってこない。本を閉じた。

諦めて、音楽を聴いているというよりは流しながらボーっとすることにした。そうこうしているうちに家に着いた。家に着いて、居間にへたり込んだ。母親はなんとなく分かっていたのか、労ってくれた。そして何故か父親を見た瞬間に、涙が溢れ出した。止まらなくて、とりあえず思っていたことを全部言った。私がこんなになってしまった原因のほとんどは父親にあるのに、元凶の父親を見て泣いたのには自分でも理解できなかったけど、嗚咽を漏らしていると背中を撫でてくれた。あんまり話は聞いてくれなかった。母親は聞いてくれた。この歳になって親に愚痴を言うのはかなり恥ずかしかったけど、これも一人っ子の特権だと思って、特例で自分を許した。

泣いた理由は、圧迫感からの恐れや傷をえぐられた苦しみもあるけれど、そういう諸々すべてが今頃セミナー連中の酒の肴になってしまったことが悔しかったんだと思う。どうせ新宿で今頃飲んでるんだろう、自分達が善意に基づいたセミナーを開いて、幾人かの迷える就活生たちを正しく導けたことに達成感を感じているんだろう。そんなくだらないことを考えていたら悔しくて仕方なかった。若い同志が集まってセミナーを開けば、たかだか大学4年生のことだ、みんな感化されて本当にプチ新興宗教みたいになっていると思う。不気味だった。最後はそんな連中の前に立って、羞恥プレイ。ちゃんとした大人が開催しているセミナーなら、あんなんじゃないことくらい分かってる。

辛かった。ヘドが出る。結局メールもよこさない。やつらの自己満足の餌食になってしまった。もうそんなことどうでも良い。ただ、変わり果てた先輩の姿を思い出すと、身が凍るような思いがする。いつからあんなにポジティブの塊になったんだろう。お前らみんな辞書のポジティブの項目に書かれてしまえ。

良かった、私はまだ私のままです。