『ブラインドネス』

"盲人国では片目あれば王様になれる"

そんなことわざが本当は意味を成さないことを、ウェルズは短編小説『盲人国』で証明した。南米にある盲人達だけが住んでいるという伝説の国に迷い込んだ青年が、今まで自分が『普通』だと思っていたこと(目が見えること)を『異常』に転覆させられる話だ。科学の絶対性や西洋の帝国主義的な思想が疑われ始めていた時代らしいストーリーで、描かれる盲人国は既に目が見えないことが当たり前になっており秩序もある国だった。盲人達は少しずつ進化し視覚を補う鋭い嗅覚も手に入れていた。

しかし、そのような秩序体制が築かれるのは容易なことではなかっただろう。盲人国は南米の僻地にあるので、今のような高度な文明ではないにしても、だ。『ブラインドネス』では現代の発展した文明の中で、突然目が見えなくなる感染症が爆発的に広がったらどうなるかということが描かれている。

それでも映画の中では起こりそうなことが一通り起こるというか。最初に感染症が発症した患者達は権利を剥奪されるように隔離施設に閉じ込められる。耐性があるのか、唯一感染せずに目が見える状態でジュリアン・ムーア演じる女は感染した夫に付き添うかたちで施設に入る。この女の立場で、患者たちの様子を観客も目撃することになる。

原作のタイトルでもある「白い闇」の通り、感染症の症状は視界が奪われて漆黒の世界になるのではなく白い闇に包まれてしまう。これを映像的にかなり巧く表現できていた。強い光が差し、ゆっくりとピントをぼかして白い闇に包んでいく。劇中で「視界」を表現する場面は多いけれど、どれもメイレレスとは『シティ・オブ・ゴッド』『ナイロビの蜂』でもタッグを組んでいたセザール・シャローンの感覚の鋭さがなせる業で、メイレレスの作品で彼がいかに重要な役割を果たしているか今回も見せつけれられた。

人間の内面的な汚さはともかく、物理的に目に見える形で汚物まみれの床などもガッツリ映すのがメイレレス流というか、精神的にしんどいものはあるかもしれないが、これはかなり成功。それだけでなく、唯一目が見えることで孤独と戦いを続ける女性の立場はかなり酷に描かれており、容赦ない追い詰め方をする。別病棟でガエル・ガルシア・ベルナル演じる男が『王』として君臨し、供給された食糧などを金目のものと取引したり、女達をレイプする場面もある。ちなみに『王』と名乗ったのは"盲人国では〜"ということわざを皮肉ったのでは。

レイプとかよく映したなぁと思うのだけど、この辺りでの妻をレイプされる男達の情けなさや愚かさ、レイプする側の醜悪さに女達の強かさや、冷静さが際立って、女尊男卑かってぐらいの描き方をするのでちょっと疲れるほどなんだけど、フェミニストたちは喜びそうな展開。かなり女優陣も体を張ってる中での木村佳乃のぬるさ*1は目立った。というか鼻につくぐらい最近の日本の女優は脱がないね。どおりでブサイクのクセに脱ぎっぷりだけ良い寺島しのぶが重宝されるわけだ。

キャラクターから名前を奪って記号化したことは面白かった。名前だけでなく、お互いの人種も口にしない。例えば、ガエル演じる「王」のことを、『あいつは黒人だよ。喋り方でわかる』と言った男と一緒にいた黒人男性は、その発言に不快感は示すものの、自分が黒人であることを告白は出来ない。差別的発言に反論したい気持ちは募るだろうが、出来ない恐怖があるからか。

外に脱出してからの場面は、崩壊した街へと移るわけだけど、目が見えない人間達がゾンビっぽくてそれはそれでエンジョイできる。目が見える女が率いる数人のグループがお互いに手を繋いだり肩に手を置いたりしながら一歩ずつ慎重に進んでいく姿は弱々しくも印象的な場面で、監督が伝えたいメッセージが込められているように思える。ラストは、わずかな希望の光が差すにしても、それが単純に喜べないものだということは明らかで、観ている方は複雑な心境で終わるが、映画が社会へ問題定義したものは大きいかもしれない。個人的にその辺のメッセージ性とやらにそこまで興味無かったし、もう少し絶望に突き落とされる準備は出来ていたので、意外性という面では刺激は少なかったかな。

余談になるけど木村佳乃伊勢谷友介が出演していたのは、別に日本人じゃなくて良いじゃんという意見もあるけれど、まぁ言い換えれば日本人でも良いじゃんになるわけで。それでも日本人だった理由を考えるとメイレレスが『バベル』のイニャリトゥを意識したんじゃないかといやらしい邪推をしてみたら本当に雑誌でサラリとそう語っていたのがおかしかった。

*1:レイプシーンじゃなくて、別の場面で。