『インセプション』

改めてクリストファー・ノーランが女に対して無関心であることやフェティシズムの塊で己の視覚的欲求に対して忠実であることを突きつけられても、そこに目を瞑って楽しめる部分はあります。夢の三層構造という非常にシンプルでありながらユニークな着想を、ダイナミズム溢れる映像で効果に再現することにより、やけに複雑で難解に見せる方法論は何度となく映画で繰り返されてきたやり方です。そこに、いやらしさというよりも大衆を納得させる自信がない限り、アトラクション的な楽しさのほうが興行的に圧倒的に有利な夏の商戦に挑めなかったのだろうとその挑戦的な姿勢にニヤり。

偶然にも主人公コブと同じ名前の登場人物が出てくるノーランの処女作『フォロウィン』はフィルムノワール調にすることで低予算であることを味方に付けたような作品だったけど、出世して、金をかけたらかけただけ凄いものを創造してしまう彼のイマジネーションとクリエイティヴィティには唸る。

だけど、心地よいシークエンスの中に幾度となく退屈さを感じてしまったのは、登場人物の浅さが目立つからですかね。特にアリアドネは、結局、能力を生かし切れずにおセンチなレオに振り回されっぱなしの可哀想な役回りになってしまってます。彼女の名前がギリシャ神話のアリアドネが元ネタなのは言わずもがなとしても、その名を使う限りは役割も遂行させてやれよ…とも思う。チームとして編成させる限りは、存分に動かしてやるのが一番なわけで。サイトーがあそこまで必死になって、最終的にインセプションが良いことしてる感じに終わってしまうとなると、表向きとは違う目的があったように思えます。ネタバレすれすれでしか言いませんが、真の目的(商売敵であるロバートに父親が築いた会社を潰させるのとは別の)が達成されたということかな。

まぁ、あくまでも想像を掻き立てて、観客の思考をストップさせながらインセプション(植え付け)しようとしてるノーランの策略にはまって悶々考えると、そうなんじゃないかなと思います。あと、ディカプリオの病的な罪悪感に終始翻弄され、脆弱なスキームに依らざるを得ないチームがとにかく気の毒です。『シャッター・アイランド』のキャラクターとも若干ダブって苛々するので、その辺大きく減点。でも、もう一回観たいとも思います。ラストの解釈はいかようにも。

サイトーの部屋にある椅子はフランク・ロイド・ライトがデザインしたものらしいーそれが観たいんだな。多分こんなやつだったかな…