『ベルフラワー』こんな夜に放火できないなんて。

先週、渋谷で母親と『ベルフラワー』を観ました。

主人公のウッドローは『マッドマックス2』に登場する名悪役ヒューマンガス様に憧れ、この世の終焉を待ち侘びながら、友人エイデンと火炎放射器を作るボンクラニート男です。この映画は彼の、全くどうしょうもないハート・ブレイキン・ストーリーです。

ウッドローは、コオロギの早食いショーで対決した女の子ミリーにアッサリ敗北します。しかし、コオロギを貪る彼女の雄姿に恋をした彼はアプローチを仕掛けて、デートにこぎつけ、そのままテキサス旅行に。このあたりの、束の間の初々しい青春描写は、その後の破綻と合わせても劣化版『ブルー・バレンタイン』といったところ。夢見がちでうぶなロマンチックさを湛えており、少ないであろう予算から生み出されたことを考慮せずともよく出来ていると思いました。

しかし楽しい時間はいつも残酷なほどあっという間に終わるものです。ウッドローは次第に嫉妬を抑えきれず、早々に余裕の無さを露呈。挙句、彼女の浮気現場を目撃して、勝手に暴走、勝手に事故り、ストーリーはウッドローの狂乱妄想世界へと突入していきます。以下ネタバレしてると思うので自己責任でよろしくです。

事故で頭がイカれたのか妄想と現実が交錯していきます。その凝り過ぎ故の伝わりにくさはさておき、そもそもストーリーの原点に還れば、ウッドローとエイデンはヒューマンガス様への憧憬を胸にアポカリプスを夢見る見た目は野郎、心は14歳の少年という設定なんですよね。その割にはやることが小さ過ぎやしませんかね。彼女への報復も(せめて妄想の中でぐらい)滅茶苦茶にしてしまえばいいのに。火炎放射器があるじゃないか。発射出来ないお前の代わりに、火を噴いてくれるじゃないかと。あまりのフニャチンぶりにヒューマンガス様の名を穢すんじゃねぇ!と途中でキレそうになりました。後から母親と話していたら、同じことを思っていたようです。

でもこれが現代男子像なのでしょうか。ゼロ世代のアメリカ映画はナードが市民権を得て、一周回ってクールな存在であるかのように描かれることが多くなりました。それはそれで良いのですが、その終着点がまさか『ベルフラワー』なんてことないよなぁと不安にすら思います。アメリカはどこまで骨抜きで自分に甘くなったんだよと。そして女には手厳しい。ミリーは最初から『私はあなたを傷つける』って宣言してるのに、まるで詐欺にでも遭ったかのように振る舞うなんて情けないです。

でもどこかで私の中の「ダメ男人格」がエイデンみたいな傷口を舐めてくれる友達と、傷心の自分を慰めてくれるコートニーみたいな都合の良い女がいてくれたらなぁと思ってしまうんですよね。ブログのタイトルからもお分かり頂けるように、チキンなりのデストピア願望もありますし。だから嫌いになりきれない。もっと暴走して欲しかっただけ。せめてカッコつけて「第〇幕〜」というように場面を区切ったり、妄想と現実をごちゃまぜにしないでストレートに描けばマシなんじゃないかと思います。

自作の火炎放射器と、改造車「メデューサ号」だなんて、響きだけでも十分ダサカッコイイんですから。主人公が明らかに働いていないことからも言えるように、生活にリアル感がないのも感情移入しにくい原因かもしれないです。携帯電話も使ってないし、あえて現代的な要素を排除してるのかもしれないですけど。

この監督って、自分がフラれた経験を映画にしてるんですよね。よくこんな共感できない人間を主人公にして名刺代わりに出来るなぁと思います。そのタフさだけでも買おうと思いました。劇中の曲は良かったです。Why?とかRatatatとかとてもセンスの良い選曲でした。以上!

まさか段ボール顔のヒロインこそが監督のexだったとは・・・。