アニメ「少年ハリウッド」について①― ハロー君たちが「存在」している世界

アイドルはいつまでアイドルでいられるのでしょうか。10代のキラキラした輝きはあまりにも刹那的に過ぎていきますし、20代にもなれば次から次へと下の世代に新しいアイドルが生まれていきます。将来に不安を感じて安定した就職という選択を取る者もいると思いますし、いつの間にか世間から忘れ去られていく者もいるでしょう。日々愛され、見放され、消費され、評価される存在。厳しいレッスンの日々、普通に恋をすることもままならない、いろいろな犠牲を払いながら、それでも黄色い声援を浴びてステージに立つアイドル。小さなきっかけから集められた5人の少年たちがアイドルとして成長していく姿に真摯に向き合ったアニメ、それが「少年ハリウッド」です。

 一期が2014年の4月から7月にかけて放送され、間をあけて今年の4月をもって二期が放送終了しました。これがとても素晴らしかった。しかし、私は一期を二話ぐらい見て毎週録画のセットを解除してしまいました。放棄してしまったんです。その時の自分の判断がどれほど間違っていたか、今は反省するばかりです。ただ実際に観る人を選ぶ作品だと思います。二期から改めて視聴し、すっかり惚れ込んでしまった「少年ハリウッド」について、あらすじから簡単に説明し、私なりに感じ、解釈したことを何回かに分けて書いていきたいと思います。

物語の舞台は原宿。そこにある「ハリウッド東京」という劇場で、ひょんなきっかけから集められた甘木生馬(愛称マッキー:初回放送時18歳)、風見(通称カケル:同17歳)、富井大樹(愛称トミー:同15歳)、舞山春(愛称シュン:同15歳)、佐伯希星(愛称キラ:同14歳)の5人が「少年ハリウッド」という15年前に一世風靡したアイドルグループの名前を引き継ぎ、活動をスタートさせるところから始まります。メンバーの背景は、ごく普通の高校生だったり、高校を中退した元ヤンだったり、かつての有名子役だったりと境遇はバラバラ。これは、そんな彼らがオーナーであるシャチョウのムチャぶりとも言える絶対的な命令に従い、マネージャー勅使河原に指導されながら切磋琢磨し、アイドルとしての役割を「課せられ」、進むべき未来を「選択」し、「自意識」を萌芽させていく物語なのだと思います。

まずアイドルをテーマにしたアニメで頭に浮かぶのは「うたの☆プリンスさまっ♪」のような作品でした。こういった作品に出てくるキャラクターは、例え芸能界デビューしていなくても、最初からキラキラとしたイケメンでアイドルのようないでたちです。

一方、少年ハリウッドのキャラクターデザインですが、リアルな顔立ちでかなり濃いです。見慣れた今では可愛くカッコ良く見えますが、パッと見はどこか古臭く野暮ったい印象を受けました。今はそんなことないんですよ。初見の話です。

 

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▲なんとなくダサい(好き)

 いなたい彼らがジャージを着て、レッスンをする日常が淡々と描かれるので、何も知らない私は「これは一体だれをターゲットに作っているのだ?」と疑問に思ったのです。愚問でした。視聴者に媚びない、挑戦的な姿勢こそが「少ハリ」の魅力の一つなのです。

例えば、第5話では彼らがそれまで稽古をしてきた舞台「エアボーイズ」を公演するのですが、OPとEDを除けば1話丸ごと舞台の内容、いわゆる劇中劇です。それも不器用な役者が揃った演劇特有のすこし居心地の悪い空気感ごと再現されています。突然、芝居のテンションが上がるシュンの様子も「いるなぁ、こういう役者」と思いました。それでいながら、脚本の随所にこれまでのストーリーとの関連性を持たせる構成も見事でした。

特にドキッとしたのは、マッキーの台詞が飛んでしまうシーン。ハッと次の台詞が出てこなくなった彼が固まり、舞台が静止してしまうのですが、その間がとても長いんです。ここで固唾を飲んで見守る観客や焦るマネージャーの姿を映す手段も方法としてはあったのでしょう。しかし、視聴者も舞台を観ている劇中の観客と同じ緊張感を味わう羽目になります。こうしたスタンスは最終話のクリスマスイヴのライブまで徹底されます。黒柳監督はキャラクターの内なる感情を何かに置き換えて描いたりせずにありのままを映すことを「作り手の解釈の拒絶」*1と述べています。

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この手法をとったエピソードの中でも秀でているのは第10話の「ときめきミュージックルーム」回でしょうか。これも丸々1話「ときめきミュージックルーム」という音楽番組です。イメージは、ミュージックフェアに近いです。司会者が冒頭で挨拶をし、ミス・モノクローム*2や、高杉ちえり*3などの歌手が曲をフルで披露。肝心の少ハリが全くでないシーンも長く、ひな壇で大人しく座っていたり、ぎこちないトークをしたりします。少ハリの出番が終わっても、楽屋で談笑するシーンなどはありません。演歌歌手の柿田川大介や初代少年ハリウッドで現在ソロ歌手として成功している大咲香の出番が続く徹底ぶり。最後まで本当にやりきったなと脱帽しました。ダンスの動きもカメラワークも非常に凝っていて、実在する音楽番組を見ているよう。いや、確かに実在しているんですよね。少年ハリウッドは「存在」している。

「存在」するアイドルのように彼らを扱う姿勢には、原作者である橋口いくよ氏のメディアでの発言を中心に、作品を取り巻く全ての方から強いこだわりを感じます。キャストの皆さんも、演じているのではなく彼らの「友人」や「親しい関係」と呼ばれ、自称しています。

また、彼らが生きている世界の描写がとても丁寧であることも、彼らの「存在」の輪郭をより濃くしています。道路の側溝に溜まる桜の花びら、コップに注がれるオレンジジュース、レッスン帰りに揺れる電車から見える景色、自動車の窓を打つ雨粒、そして原宿という街の風景…彼らが息づく世界を丁寧に描くことで、より一層彼らの存在を感じ、私はアイドルアニメを見ている視聴者から「少年ハリウッドを応援する一人のファン」へと自分の感覚が変化していくのを実感しました。

そういった積み重ねがあるからこそ、単に挑戦的で作り手の冒険心を感じるエピソードである以上に「少ハリ、音楽番組に初出演できて良かったね!」と彼らのファンという立場で喜ばしく感じる、感慨深さが生まれた回だったと思います。

ただ、この斜め上をいく手法がクセになるかどうか?というところで好き嫌いが分かれてくるかもしれません。リアリティを追求すると必然的に泥臭くなっていきますからね。人はアイドルとして生まれるのではなく、アイドルになっていくものであり、これはそのプロセスを描いているからです。ちなみに、この作品は原宿という場所が舞台となっている時点で、ジャニーズへのオマージュは明白です。これは二期以降ますます深化していくのですが、次回以降ゆっくりまた語りたいと思います。

 

 

ハロー世界

ハロー世界

 

 

*1:Blu-ray3巻封入の冊子にて

*2:声優の堀江由衣がキャラクター原案を手掛け、自身が声優を務めるオリジナルキャラクター。スタチャ、そしてカケルの妹役をほっちゃんが出演しているなどの繋がりで出演。

*3:橋口いくよ氏による小説「原宿ガール」に登場するアイドルグループ原宿ガールのメンバー。